2018-06-12_A


とはいえ、よくあるデスマーチ。

あれは……そう、とある年の瀬。
それも本当にギリギリの締切直前。
徹夜もこの夜で4日目。

事務所内には、僕と先輩ディレクターの2人。

眠気にあらがう様に、そして何処から何処へ向かっているか分からない怒りにも似たエネルギーをぶつけるように、事務所内には大音量でゴリゴリのヘビメタ曲(Slipknot)が流れていました。

お互いがお互いの仕事に没頭。

やたらと怒り狂った曲(Slipknot)とキーボードを叩く音。
マウスのクリック音と、栄養ドリンクの瓶を開ける音。
部屋の中にはしばらく、そんな音だけが響いていました。

チラリと見やる時計の針は、すでに午前の5時を回っています。

僕「パイセーン!! 担当さんが取りに来るまで……あと3時間です!!」

先輩D「……っつあーーーー!!! Macフリーズしたぁぁぁぁ!!!」

そんな文字通りのデスマーチも、いよいよ追い込み。
ラストスパートの阿鼻地獄。

とはいえ、このくらいの事でしたら、同業の皆さまにおかれましては比較的おなじみの「あるある〜」な、ただのノーマルデスマーチでした。




細マッチョは、空封筒の口を開けながらやってくる。

「おっはようございまーす!!」
某朝の番組の天の声みたいなテンションで、浅黒い肌の担当営業さんが事務所にやってきます。

空封筒の口をしっかりと開けながら。

時計は午前9時手前。

年の頃は40代半ばといった所。
細身長身、短髪に元気いっぱいの声。
熱血。

まあ〜〜〜〜〜〜……爽やかですよ。熱いし。
広告代理店の営業職としては、向いていそうな要素だらけ。

ここからは推測も交えつつ。
肌は浅黒く日焼けをし、ブルースリー型の瞬発力系マッスルをスーツの下に隠していますね。
そしておそらく、下着はブーメラン。

ともあれ、その瞬発力系熱血営業さん(修飾が多い)が封筒の口を開けて近づいてきます。

熱血営業氏「さあ、朝です!お疲れ様です!! 出来ましたか!?」

先輩D「出来ましたよぅ……。」

僕「もう1週間、まともに眠れずにやったので……。文字校正とか代わりにお願いします〜。」

熱血営業氏「うわ……。すみません。年末に無理矢理、来年1年分のパンフのデザイン案なんて。」

先輩D「仕方ないですね。あのクライアントさん、毎度こうですからね。」

などとやり取りがあったり無かったり。

そんなこんなで、無事に文字校正を終えた向こう1年分のパンフデザイン案をしっかりと封筒に収めた熱血営業氏。

熱血営業氏「では!行ってきます! おふたりの徹夜、無駄にしませんよ!しっかりプレゼンしてきますから!!」

いい人なんです。
ちゃんと、デザイナーの苦労に寄り添って色々してくれるし。

意気揚々と、熱血営業氏はクライアントの元へ出掛けて行きました。
そのしなやかな、肉食獣のような瞬発力で。

僕らデザイナーたちの努力と苦労をガソリンに、心に熱い炎をともしながら……。




不穏な気配。しかし僕らはフタをした。

気を抜いていた。

ええ、認めます。
僕も先輩Dも、すっかり気を抜いていました。

「熱血営業氏がプレゼンを終えて帰って来たら、来年の進行を確認して今年は〆だね!!」つって。
「忘年会とか、今から予約間に合いますかね〜?」つって。

だってしょうがないじゃない。
1週間のギリギリ追い込みを、今朝無事に終えたと思っていたのですから。

だって仕方が無いじゃない。
熱血営業氏の、あの出掛けのサムズアップ&ギラリとした笑顔を見てしまったのですから。

確かにその時点で不穏な気配はあったように思える。

僕「予定より遅くないですか? メールも無いですよ?」

先輩D「年の瀬最後だし、クライアントさんと他にも色々話すことあるんでしょ?」

いずれにせよ、僕らには待つことしか出来ない。
予定時間を随分過ぎても連絡が無いこの段階で、僕らの話題はまだ

「忘年会、予約しなくてよかったですね〜。」てなもんであった。

ほんと僕たちはそんな風に、不穏な気配に気付かないふりをしてフタをしてしまった。
「まさかの出来事なんて無い。」そう思い込みたかった。

今から思えばなんであの時、熱血営業氏の携帯にメールのひとつも送らなかったのか。

「何かありました?」って、どこか早めの段階で熱血営業氏と会話が出来ていれば、もしかしたらこの後の悲劇は防げたんじゃなかろうか。

嗚呼……。
振り返れば、その後悔はきりがない。



真夏が出掛けて、真冬になって帰って来た。そんな夕方。

時計を見上げれば、もう夕方の6時を回っていた。
熱血営業氏が意気揚々と僕らの元を出発してから、実に7時間。
「一度連絡しません?」なんて会話になり始めた頃だった。

……ガチャ。

瞬発力のかけらもない音。
全く勢いを感じさせずに、事務所のドアが開いた。

熱血営業氏「……ただいま戻りました。」

熱血営業氏の声は響き渡らない。
アノ瞬発力まみれの、熱血営業氏の声がだ。

たったそれだけ。
一人の営業氏の声が響かなかった。
ただそれだけ。

十分だった。
僕らが背筋に冷たい物を走らせるには。

先輩D「なにか……。ありました?」

熱血営業氏「……。」

僕「あ、とりあえずお茶煎れましょうか。」

熱血営業氏「いえ……。その。」

さほど長い付き合いというわけでは無い。
だから「こんな営業氏は初めて見る」という表現がこの場で使えるのかは分からない。

でも、尋常ではないという事くらいは分かった。
今朝、この事務所を出て行った彼の雰囲気。
それとのギャップだけでも、彼のこの姿は尋常ではない。

浅黒く日焼けした肌は、今朝は健康そのものに見えた。
今は、その黒さがどこか陰になって見える。

季節で例えよう。
朝、彼は確かにギラギラとした真夏だった。
真夏が服を着て、僕らの原稿を持って出掛けて行ったんだ。
ところが午後6時を過ぎた今、目の前には何故か真冬が鎮座している。

不思議なことにどんな角度から切り取っても、僕らの目の前に居る真冬の彼は、確かに今朝僕らの原稿を持って事務所を後にした、真夏の彼と同じ顔をしていた。



担当氏の独白。熱血バトル!vsクライアント様 事件。

そこからは、熱血担当氏の独白と、それを黙って聞く僕たちという構図だ。
空気は派手に動かない。

熱血営業氏「実は……。いや、まずは謝ります。ごめんなさい。」

先輩D「え?いや、何かあったのは雰囲気で察しますが……。まずは事情を。」

熱血営業氏「そう……ですよね。すみません。」

僕「……。ゴクリ。」

熱血営業氏「実は、クライアントとケンカをして帰って来ました……。」

先輩D&僕「「……えっ??」」

その言葉は、僕たちにとって想定外だった。
何かあったのは気配で分かっていたけれど、せいぜい「クライアントから更にとんでもない要望をされまして」とか、そのくらいだと思っていたから。

熱血営業氏「本当に、ごめんなさい。折角1週間も徹夜して追い込んでもらって……。」

僕「あ……いや。」

先輩D「……。」

その後、色々と言葉を交わし合った。
要約するとこうだ。

★僕らの作った来年1年分のデザイン案をまとめたプレゼン資料を、クライアントに説明。

★内容に関しては、クライアントも概ね納得してくれた模様。……だが。

★クライアント側の中のひとりが漏らしたひと言。
 「でも、このくらいのデザインなら余所でもっと安く作れますよね?」
★曰く「私ならもっと安く優秀なデザイン屋を使えますよ」といった主張で、
 「クライアント内のマウンティング行為のように思えた」と。
★そもそもこの1年分のデザイン案提出も、クライアント側から無理に頼まれた作業。
 しかも、これ自体には料金発生していない。
★熱血営業氏は、今朝まで1週間の地獄進行を乗り越えた僕らの事を思ったそうだ。
★そして、その社内同僚に向かってマウンティング行為をしようとした方に向かってカッとなった。

といった具合であった。
このくらいなら、僕らとしても「そんな怒らないでも……。」と、逆に思ってしまうんですがね。
でも、おそらくこれもそれなりにオブラートに包んで話してくれたはず。

正直、クライアントとケンカをして帰って来て、それによって1週間の地獄進行が全部無かった事にされたのは、簡単には飲み込めない。

でも、それでも熱血営業氏に怒りを覚えないのは、僕たちデザイナー側の苦労を自分のこと以上に考えてくれた結果だから。

事件としては、ただそれだけのこと。

クライアントさんとの間でも、少しギクシャクしたのはその「マウンティング氏」とだけで、直後は少しだけお仕事は減ったけれど、取引自体は継続してもらえました。

それから数年かけて、取引案件の数もジワリと増やすことになります。

あれからそのクライアントさんと料金で揉める事が無かったのは、もしかしたらアノ時の熱血営業氏の功績なのかもしれません。