「クラウドソーシング」それは、専門家がいらない世界。
「クラウドワークス」だとか「ランサーズ」だとか、所謂クラウドソーシングについて書くことが多くなってしまう。
これね、クラウドソーシングの特徴のせいでもあるのよね。
とにかくオープン(良い意味でもね)なので、なんといいますか「おや〜?この案件って……。」っていう、僕らお仕事として色々作ってる人からすると、ちょっぴり面白い(悪い意味でもね)募集案件がゴロゴロしていてね。
なんだか、そういうのが目につく目につく。
決して「クラウドソーシングは悪だ!」という意見を持っているわけではないのです。
あくまで、そのサービスを利用するユーザーが「ちょっとアレだね」っていうだけ。
でも、大概は「この単価で何をさせようってのよ?」っていう案件がいっぱいあるねっていう事です。
しかし、そもそもで言ってしまえば、僕らデザインや広告業界の側が、今までちゃんと相場の設定をしていない(もしくは秘密主義過ぎた)のが問題だった気もする。
だから、例えば僕らの感覚で「この内容でポスター作るなら、だいたい15万円かな?」っていう案件を、クラウドソーシングで募集する側は、平気な顔して大まじめに「高額報酬!2万円です!」とか言ってしまう。
それに対して、僕らは「じゃあ、ゼロから真面目に作ってあげるのは無理だ」ってなるけれど、本業はサラリーマンで週末デザイナーみたいな人は「2万円のお小遣い欲しい!」ってなる。
ここまで書いてみると、やっぱりどこにも問題は無い。
要するに、専門家がいらない世界。
それが「クラウドソーシング」なのだから。
需要と供給は、キチンと成立しているように見える。
つい先日までは、本当にそう思っていました。
なんなら、優しく見守っていました。
募集側のお話しを聞けたわけですが……。
ところが、たまたま偶然にもクラウドソーシングの「コンペ形式の募集者側」の方とお話しする機会がありまして、そこからほんのちょっぴりモヤモヤが広がることになります。
曰く「ロゴデザイン、業者に頼むより安くて簡単で、たくさん集まったよ!」
全然問題ない。全く良いのです。
でも、それに続く言葉がちょっと勿体ないといいますか。
「あ。これ、専門家がいらない世界っていうか、もしかしたらデザインがいらない世界になる?」
とか思わされるといいますか。
曰く「●●っぽく作ってくれた物がいっぱいあったから、その中から選んだ。」
曰く「社員投票で選んだ。」
曰く「たくさん集まったから、社長も満足そうだった。」
つまり「何となくそれっぽく見える平均的なデザインの中から、社員の平均的な意見を採用した」って事なんですよね〜。
そして「たくさんの中から選んだ。そしたら、なんか凄い仕事をしたっぽくなった」と、社長が喜んだと。
決定したロゴと、最終候補のいくつかを見せてもらった。
テンプレ感溢れるロゴデザインの数々。
意味はたぶん……。特にない。
仕方のない事です。
募集者は素人さんですから。
普段のお仕事でもクライアントさんは素人です。
だから、これは普通の事でもあります。ここまでは。
例えばデザイナーやディレクター。例えば広告代理店。
そういった「意味を見つける専門家」の目が一切ない選考。
それが恐ろしく思えました。
「見たことのある感じの中から、多数決で決めました!」
民主主義でデザインを決めると必ず起こるのは「責任者の不在」と「尖ったデザインの除外」。
募集者側は「たくさんの中からデザインを選んだ」と満足しているようでした。
僕はその隣で「デザインを選んだ事よりも、みんなで選んだ事の方を重視している。」と思いました。
みんなで協力して何かを選ぶ事って、凄く大切だとは思います。
でもそれって、当たり障りの無い何かしか生まれないような気もします。
応募者側は、クラウドソーシングのデザイン案件の先には、きっとそういう「角を削る選定作業」が待ち構えていると覚悟した方がいいんだろうと思いました。
普段僕らが提案の時に用意する「置きに行く案。比較的尖った案。事前ヒアリングを無視した、完全提案型の案。」システムは、ここでは使えません。
そして、クライアントと二人三脚で未来を創る事もありません。
それが、クラウドソーシング。特にデザインコンペ案件だと思うようになりました。
そして、最後にひと言。
コレを言われたら全ておしまいな、そんなひと言。
「クライアントが満足してるんだから、それでいいじゃん!」
そういう話しに帰結するならば、そこはやはり「デザインのいらない世界」なんですよね。